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同調主義~

はじめに言っておくと、この文章で自分が言いたいことは最後の段落にあります。

 

大学に入ると、高校までと違い、急に3年くらいの自由時間(卒論・就活・院試などで1年は忙しい)を与えられる。4年間のマラソンレース。カラフルな風船で彩られたスタートゲートに沿道には多くの先輩がわいわいはしゃいでいる。「これからの時間の使い方は自由だよ(微笑み)」と説明もなしにスタートのピストルが緩く鳴る(ぱ~~ん)。周りを見ると同じスタートラインには同期の数百人が固まっており、ごく少数はゴールを知っているかのように一目散に走り抜けるが、周りに人が多すぎてその存在を確認することも稀。自分がこれからどこに向かうのかはわからない。でも周りを見渡してみても皆表情が明るいし、各々がサークルやバイトを見つけ楽しそうに仲間と歩いている。心配する必要もないか。というのが大学の入学してからしばらくの期間。

風刺的な妄想に聞こえるが、あながち的外れではないと思う。自分が大学2年の途中までそうだった。でも多くの人が就活を始める大学3年の終わり、多くの岐路目の前に現れる。「さあ、君はどこに向かうの?この道はそれぞれ違ったゴールへつながっているよ。どの道を進むか当然考えてきたよね?」とマラソン大会のスタッフが問いかける。そんなの考えたことない。これまで周りのみんなと同じ道をただ進んできたのだから。自分のための決断なんてしたことがない。

いまの日本の多くの大学ではそうなる。上に書いたようなストーリ―展開は現実問題、多くの人に訪れている。

でもこれ、問題点は「大学に入ってから」ではないような気がする。自分は大学進学が惰性だった。受験勉強が嫌で、進学校に在籍していたため、周りは当然進学が8,9割。高3の夏に部活を引退してから残された学校行事は楽しんだが、だんだんと受験モードに変わっていく中でまったくモチベーションが上がらなかった。模試の結果はもちろん悪い。志望校は名前や場所(関東志望)で決めていた。でもそこまでこだわりはない。「なんで大学に行くのか」なんて問われても、「勉強するため?」だった。勉強は嫌いなのに。それは「いまこれから数か月後に就職する」という選択肢だけにはNO!!!と言えたから。それにしても、自分のこれまでを振り返るとこの惰性的な大学進学が一番の問題だと感じる。親には「大学に行けることを当たり前と思うなよ」と模試の結果を見ながら怒られた(費用的に国公立限定だったから)。確かに両親共に苦労して大学に進学していたとは聞いていた。しかし、時代も違えば育った環境もあって、当時高3の自分にはとてもその思いは十分には理解できなかった。

学ぶことが楽しくなったのは本当に最近だけれども、それは学びたいと感じるようになったから。意欲がないうちは講義もまともに聞くこともなければ、出席すらろくにしていなかった。これは学費を親に出してもらっている身分として恥ずべきことだということはわかってはいたんだけれど。。。

ではどうすればいいかなと考えていたんだけれど、自分がまた高校に通いなおすことはRelifeでもなければ起こるはずもないので、自分の子に置き換えて考えてみる。もし将来、自分の子が「大学に行く意味が分からない/行かない」という決断をしたときには、「とりあえずどこでもいいから大学には行っておきなさい(周りの目もあるから)」なんて言う親にはなりたくない。自分なら親として、「おう、そうか、じゃあ何をするんだ?」くらいのスタンスでいたい。どうかな。たぶん近い将来、そんな考え(大学行かないといけないわけじゃなくない?思想)にシフトチェンジしそうな予感がする。もししなかった自分の子だけでもその価値観で受け止めたい。大学が意味ないなんて言ってない。自分はいまでこそ学びのおもしろさの味をしめてきたと思うし、その味を知っている人、知りたい人だけが大学進学すればいいと思う。自分はそういう意味で、大学院進学はいまの専攻とは違うところに行く予定。だって10代から20代にかけての4年間を棒に振るなんてのはもったいなさすぎるじゃん。

すると大学に行かない人たち(具体的な対象としては進学校の高校3年生)はどうすればいいのか。それは、細切れでもいいからいろんな体験をするといいと思う。例えばそれは、海外に旅行に行ったり、ワーホリで1年間過ごしたり、日本の山奥の職人の元に住み着いて弟子入りしたり、地域おこし隊として土着の活動をしたりといった体験である。なんでもいい。飽きたら速攻辞めていいと思う。そう、無理に続ける必要はない。そこに留まることに可能性が見いだせなかったらすぐ辞めちゃえ。自分の高校時代を振り返ってみて、もしいまやり直せるなら、とにかくあの部活の時間をどうにかしたい。当時の反動でいま積極的に動けているとは思う。でも高2のあの時期は一生帰ってこない。だったらRelifeじゃないけど、もっと外に出たりSNSで発信したり読書に明け暮れたりしてみたかった。「時は金なり。」やりたいことが見つかるまでいろんなことに手を出してみるといいと思う。「あいつは多くのことに手を出し過ぎてどういうやつかつかめない。もっと一つのことに絞るべきだ」というのはひどい。やりたいことを探している段階の人なら大目に見てやってほしい。そりゃ、所属しているチームメイトに迷惑をかけないように努めることはもちろん必須。これは忘れてはいけない。しかし、一つに絞るのは自分の中で何かがしっくりきた時でいいし、そのしっくりくるものがいくつもあるなら何足のわらじでもいいじゃないか。(そもそもなんでそんなに簡単に他者の人格をシンプルに認識したがるんだ。ひとってそんなにシンプルなはずないじゃんか。)

何をするにしても、もちろんやらされるものであってはならないし、自身の興味程度でもいいからやりたいことであるべき。とすると次には、高3になってどうしたいかという選択肢がない人が大半のはず。そこで、生涯教育として授業の中で外部講師を招いて講演の機会を多くするべき。探検家や公務員、学者、助産師、バスの運転手、ベンチャー企業の社長などなど、バラエティに富んだゲストからいろんな価値観のお話を聞く。(とすると、教師にその価値観がないとまず成りえないよね。やっぱり教師はすごい。)教育の本質は「まだ見ぬ世界の見つけ方」を提供することだと思うから、これは教師、学校の指名だと考える。いまの日本の大学は(海外がどうなのか気になる)、就職のための大学になってる気がするし、高校は大学進学やはたまたやっぱり就職のため(商業・工業など)になってる。「視野を広げるって、選択肢が多いことは果たしていいことなのか!」という問いは以前、塾講師仲間と議論になったけども(笑) 少なくとも、そんなのもっと早くに知っておきたかったという事態になる前に、その視野の広げ方はせめて学校でもっと力を入れて指導してもいいんじゃないでしょうか。

以上、教育にすこし興味のある農学専攻の学生のぼやきでした。