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#140字作文コンクール

なにか書きたい。

 

なにか書かないとブログがどんどん書けなくなる気がしてこわいなと感じました。

 

たくさん書いて1つ1つの記事の存在感を小さくしたい。

 

でないと、いまはそれぞれの存在感が大きすぎて恥ずかしいです。

 

消したくなるけど、消さなくていいくらいにどんどん更新していくスタイルを取っていきます。

 

 

 

先日、後輩が「服装がダサいのはいいけど、自分の文章がダサいのはいやだ」とツイートしていて、なるほどなぁと思いました。  

 

 

文章ってその人の性格が出ますよね。これ、意識していない人が多いかなとTwitterを見ながら感じます。

 

 

いつ見ても気持ちのいい文を書ける人は、きっとそのことにすごく気を遣ってるんじゃないかと思います。

 

 

文を書くことに関しては以前、こんなツイートをしたのでまとめるついでに補足しておきたいと思います。

 

 

 

夏休みの読書感想文が嫌で嫌で仕方なかった自分が、いまでは文章を書くことを楽しんでいるなんて、小学生だった自分が驚くこと間違いなしですね。

 

 

そうなんです。最近、文を書くのが楽しいんです。なんでかはわかりません。

 

ただ気づいちゃっただけかも。それでもツイートにあるように、もっと早くにこの楽しさに気づいていたら、中高生のうちにいろんな経験(作文コンクールに応募など)ができたかなぁと思います。

 

 

そこで感じたのですが、いまのこどもは早い子で小学生のうちからスマホを持っていて、Twitterをやっている子もいると聞きます。

 

だったら授業の中で、犯罪に巻き込まれないためのリテラシー教育だけで終わらず、『140字の作文コンクール』とかを企画しても面白いのかなと思います。

 

あ~、わくわくする。こんな授業おもしろいに違いない。国語の授業って楽しい思い出がないあまりなくないですか?

 

伝わる文章を書くためのトレーニングにTwitterはいい教材だと思うという主張、まだ聞いたことないけどこんな論文ないのかな?

 

影響力のある教授が発表してくれたら即効引用リツイートするんだけどな。

 

どうも教育とSNSなどのリテラシーがかけ離れている気がしてならない。なんでなんだろう。権力のあるおじさん方がこのことに気づいてないから?謎だ。

 

なにか問題点があるんですかね?素人なのでわかりません。

 

ただただ『はやく教育現場に届け~!』と願うばかりです。

 

ここらへんでおしまいにしましょ。

 

ではでは~

 

 

 

p.s.教育学部の友達によると、これを指導案に組み込んだ模擬授業があったそうです。(最高だ、、!!!)

”知っている人”を知る者が情報社会で有利になるということ

どうも冨岡(@gciuzi52)です。

 

先ほどの自分のツイートを解説したいと思います。

 これは社会に提言したいことではなく、まだこのツイートの意味がわからない人(後輩や自身の視野を広げたい人)に向けて書きます。

 

高校の時の進路選択も、大学に入ってからの4年間の使い方も、卒業後の働き方も、人生設計もすべて自分だけのオリジナルを作るのは難しいです。

 

成功しているように見えている人たちは、最高のオリジナルストーリーを描くことができた天才ではなく、情報収集がうまかった人たちだと思います。

 

情報収集の手段は古典や自己啓発本などの本、親、先輩、ブログ、TwitterFacebookなどなど。

 

有益な情報を手に入れられる人は、それを手に入れるための情報収集法が優れているのではないかと思います。

例えその情報源が親のコネや強力な人脈だったとしても、それが実力です。

 

 

自分がこのツイートのように感じたのは、留学に関するいくつもの試練を乗り越えるために集めた情報が大きく助けになってくれたからです。

 

この留学が始まって以来、本当にわからないことだらけです。しかし、同じトビタテ生でドイツに詳しい人や、ドイツについてブログを書いている人たちからの情報を元に自分はいくつかの関門を潜り抜けることができました。

 

そんなとき、自分のような情報難民を救う方法は「”知っている人”を知ること」なんだと感じました。

 

どういうことかというと、自分は情報収集にTwitterをよく活用しているのですが、ドイツで生活しドイツに特化した情報を発信する日本人アカウントがいくつかあります。その方々をフォローしていると、自動的にドイツに関する有益な情報が手に入るということです。

しかも、そんな有益な情報を発信してくれる人がまた別のそのような人を紹介しているので、最近はフォロー数が着々と増えています。

 

この情報収集に関しては、進路選択や大学生活の過ごし方に迷っている人たちにも同じことが言えるなと感じました。

 

今の時代、手の中のスマホでインターネット上のあらゆる情報にアクセスできます。

大学4年間の過ごし方がわからない、そんな悩みを持つ人はごまんといるしそれに対するアンサーもすでにたくさんネット上に公開されています。

 

情報収集の手段はなんでもよくて、要は自分が探した人には容易に答えが見つかるんだからぐずぐず言ってないで自分から探しに行けということです。

 

これは近畿大学でのホリエモンの有名な講話にもありますよね。

youtu.be

インターネットのおかげで、自分で自分の欲しい情報を手に入れることができる。

そしてそれを発信し続ける自分の頭で考える

すると自分なりの判断ができるようになる。

 

スマホで世界最高峰の知に触れることができる。

 

この動画を初めて見たときは感動しました。今回改めて見てもやっぱり温度の伝わるメッセージだなと感じます。

 

いまの情報社会では、あふれるほどの情報の中から如何にして自分にとって有益な情報を収集するかが差をつけます。

 

そんなあふれる中から自分でいちいち情報の良し悪しを吟味するのは大変です。

 

だからこそ、有益な情報を発信してくれる人を捕まえて(フォローして)情報を集めるんです。

 

 

 

ところで、最近は専らいろんな人のブログを読むのにハマっています。

 

特に鳥井弘文さん(@hirohumi21)の記事にドハマり。 

 

 

鳥井さんのブログ「隠居系男子」は悩んでいる若者におすすめです。

文章が軽快で、でもメッセージはしっかり伝わりやすいように書かれていて。

タダで読めるんだから読まない手はないです。

inkyodanshi21.com

 

 

最後に、

自分が好きだなというブロガーたちのブログを読んでいると、「おれもこれが言いたかったんだー!」ということ(激しく共感)がよくあります。

そのたびに、言語化できるブロガーすげぇってなります。

自分の想いを言葉にできるって強いなと感じます。

 

自分も言語化を強みにできるになりたいです。

 

 

引用ばっかりでしたが、以上です。

ではまた。

 

ドイツ暮らし#1

まだこちらでの生活は1週間程度だけど、こんな感じ。

 

朝。アラームで(平均して)5:30くらいに起きる。

早起きのリズムにしたのは単に夜遅くが苦手だから。夜は疲れてるし、あまり楽しめないという考えなので特にやりたいことがなかったら、というか積極的に寝ることにしてる。寝るのがすごく好き。

起きたら顔を洗ってうがい。こっちはそんなに乾燥するわけでもない。海外は乾燥するって誰かが言ってたけど、ここはそんなことないのかな。雨が多いからかも。

 

机で日記を書く。日本から持ってきていたB5のノート1ページを1日分として、基本的に前日の内容を書く。感じたことが多いといくらでも書けるし、特になければ数行で終わることもある。あ、文は日本語で書いてる。日本語で表現したいなと思ったから。お金の管理が煩雑なのでせめて自覚のない出費だけはやめようと、その日使った金額くらいはメモをしてる。あと、24時間をどう使ったのかのタイムスケジュール。1ページの使い方はこんな感じ。

ブログなど、パソコン上で日記をつけたほうがスピード感もあるし手書きより楽かなとも思ったんだけど、ペンでノートに書くのがなんとなくいいかなとも思ったので手書きにすることにした。

 

日本との時差で朝起きたくらいがSNSは盛んなので、朝のうちに一気にチェックする。主にTwitter。LINE、FacebookinstagramGmailも一通りチェックをする。

 

そんな風にして朝ごはんの8時まで過ごす。朝ごはんはスライスされたパンにマーガリンやジャムを塗って食べる。食べたいだけ食べれるので朝がっつり派の自分は安心した。

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8時に朝食だと8時半には家を出たいので時間はギリギリ。小走りでトラム(路面電車)の駅まで行く。

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トラムで市内ならどこにでも行けるので、便利。

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バスも同じくらい便利だが、運賃を乗った時に運転手を相手に購入しなければいけないので、ドイツ語初心者の自分にはまだハードルが高くて厳しい。トラムが楽。トラムが楽なのは、どこからでも乗れるから。降りるときもどこからでも。ということは?そう、無賃乗車が可能なのだ。見つかると60ユーロの罰金らしいが、その割に駅員が車内を見回ることなどはしない。すると駅員の収入はどこから、、?疑問だ。自分は異国の地で悪さをすることなんて恐ろしくてできないので、月額のチケットを購入している。まあ、持っているだけ安心する。市内の移動であればトラムで不自由ない、つまり、それぐらい街がコンパクト。大きいデパートまでは少々歩くが、それも徒歩圏内。15分くらいあれば行ける。

 

現在はドイツ語の語学学校に通っている。学校は朝の8:45~12:45の4時間。途中11時頃に休憩があるが、それ以外はぶっ通しで授業というハードな半日。授業は初級のうちからドイツ語でドイツ語を習うので、まだ慣れないが、頭がパンクする勢いである。

クラスはレベル別で、規模は(少人数教育を売りにしている割には)20人前後。教室が満席になるのもしばしば。しばしばというのは、日によって人数が異なるから。国籍は幅広く、隣国スイスからアジア、南北アメリカ、アフリカなどなどグローバルである。これはおもしろい。例えば今日なんかは、犬の鳴き方が国によって全く異なることで盛り上がった。「言語を学ぶことは文化を学ぶこと」だとつくづく感じる。これが、海外にある一定期間身を置いてみたかった理由でもある。日本で学ぶのとはわけが違う。

 

長い半日が終わると、あとは自由時間。とりあえず腹がへっているので飯を済ませる。外食の物価は日本と同じかな。コンパクトシティな分、昼間は店が混んでる。でも近くにほかの店があるからいいや。ドイツっぽい料理があまりない印象。もっと、ソーセージを食べたいのに。コーヒーショップが多い。しかも、ショートサイズであれば1.2€。秋田にいたときは毎朝セブンイレブンの100円のコーヒーを飲んでいたから、なつかしく思う。

 

なんといっても街がおしゃれだから気分はいい。自分はこんな環境にいたいんだなと改めて実感。海外生活も割といいなとなる。そしてもちろん、ヨーロピアン、美男美女が多い。海外生活も悪くない(確信)。予想外だったのは、おしゃれな人は全体の半分くらい?日本に比べたら少ない印象。おしゃれには日本人の方が気を使ってるかな。ただ、言うまでもなく、ある程度おしゃれであればヨーロピアンはめちゃくちゃかっこいい&美しい。

 

学校が終わり、特に用事もなければそのまま家に帰る。帰りはトラムで最寄り駅まで行く。降りた駅の近くのスーパーで飲み物やお菓子を買う。飲み物は、清涼飲料水は果物ジュースにコーラなど。お茶は置いてなかったな。水はこちらでは炭酸水がよく売られている。外食の際も、普通の水か炭酸水かと聞かれる。ホームステイの夕食でも炭酸水が出るが、それはマシンで作れるようだ。それほどまでに飲みたいものなのかと不思議に見てる。歯ブラシやシャンプー、保湿剤などの生活用品はそんなに日本のものと変わらないので安心した。

 

帰ってきてから20:30の夕飯までがあまりに長いのが少々つらいが、夕飯はまあまあ満たされる。

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時々食後に紅茶を淹れて飲む。家族みんなでの食事。日本よりもその意識は強いように感じる。中学生、小学生の子どもがいるが、親とよく話すので反抗期はないのかな?と疑問に思う。小さなわんぱく坊主を弟に持つのでしっかりしている。それか、このようなホームステイをよく受け入れているためかなとも思う。

 

食事を終えて解散すると自分は特にすることもなく、歯を磨いて寝床につく。その流れなので22時くらいには寝る。こんな一日。

 

 

長々と書いたので疲れた。なるべく詳細を書こうと思ったけど、疲れたのでいずれ細かい部分は載せていこうと思う。休日の過ごし方などは特に日本と違うと思うのでそれもまたのお楽しみ。 

 

書きながら思ったんだけど、みんなの関心はどこに向くのかな。フィードバックをもらえたら書きやすいし、これからの生活で意識しながら観察できるなと思う。自分だけじゃない視点で物事を見れたらお得だなと思うので、ぜひぜひフィードバックをくださいな。へばな。

 

トビタテ生として

トビタテ同期の子が、Facebookに投稿していた文章がかなり胸に刺さった。

合否に明確な基準はありません。
だとしたら、何がだめだったのかも分からないまま。
これから期間をずらして留学する人、他の奨学金に応募する人、みんなそれぞれの道に進んでいきます。中には1度覚悟を決めたのに、留学を諦める人もいます。

そんなみんなの顔を思うと「じゃあ何で自分は受かったんだろう」って思う。すいません。でもそう思います。
分からないけどでも多分、みんなそれぞれ頑張ってて、自分が飛び抜けてた訳では無い…のかな。けど多少なりとも「この子を選ぼう」って思って、引き上げてくれた人がいるってことだから、そんなチャンスを与えてくれた人、そして落ちてしまった友人達、自分の価値はどこにあるんだろうって考え続けなきゃいけない。

書類選考の合否を通して、意外にも自分が背負った責任の重みを実感させられることになりました。いい機会を貰いました。この気持ちを風化させないように努力したいと思います。

その子は6期に受かった身として、7期の選考に挑戦していた学生の面接練習などに付き合っていたらしい。しかしながら、残念なことに合格した者はいなかったらしい。そこで合格した自分、選考で選ばれなかった人について考えさせられたという内容だった。

 

ここで簡単に説明すると、トビタテの選考というのは、1次の書類審査、2次の面接審査により構成される。2次の面接審査では、企業の人事の方相手に1対1で自身の留学計画をプレゼンする。方法は様々で、スケッチブックを紙芝居のようにする人や手ぶらで語る人などなど。ちなみに自分のとった方法はなかなかウケがよかった。民間企業の出資によって支えられる返済不要の奨学金を獲得するため、みな当然必死である。

そしてその評価ポイントとしては、

  1. 実践活動を含む積極的な内容であること
  2. オリジナリティに富んでいること
  3. 帰国後に日本の産業に還元すること
が軸としてある。実際、ほかのトビタテ生と面接時のエピソードを交換すると、面接官がとても怖く苦痛だったという声もあれば、終始笑いがありとても楽しかったという声もある。つまり面接担当の人事の方次第ともいえる。

 

たしかに自分も選考を経験しているためわかるが、受かるかどうかの線引きはかなりあいまいなもの。自分はそのおかげで採用されたようなものだし、残念ながら採用されなかった人もまた、そのあいまいな基準によるものである。点数などではない評価なので、結果に納得しないということは必ずあると思う。

 

だとしたら、こういう言い方もなんだが、もうこれはだと思う。実際、自分が採用されなかったらそれは縁がなかったのだと割り切るつもりだったし、自分は基本的に人生で起こることはそのように捉えている。

 

逆に、「じゃあなぜ自分がここに生かされているのか」とよく考える。きっと意味がある。でもそれは誰も教えてくれないし、それはきっと死ぬときに自分で決める後付けのタイトルのようなものなんだろうな。

 

ドイツに来て1週間が経過した。1日1日を大切にしているつもりではいるが、自分がこの留学を通して、与えられたこの機会を活用してなにを成し遂げたいのかを日々自身に問い続けたいと思う。

 

「トビタテ!留学JAPAN」について↓

www.tobitate.mext.go.jp

同調主義~

はじめに言っておくと、この文章で自分が言いたいことは最後の段落にあります。

 

大学に入ると、高校までと違い、急に3年くらいの自由時間(卒論・就活・院試などで1年は忙しい)を与えられる。4年間のマラソンレース。カラフルな風船で彩られたスタートゲートに沿道には多くの先輩がわいわいはしゃいでいる。「これからの時間の使い方は自由だよ(微笑み)」と説明もなしにスタートのピストルが緩く鳴る(ぱ~~ん)。周りを見ると同じスタートラインには同期の数百人が固まっており、ごく少数はゴールを知っているかのように一目散に走り抜けるが、周りに人が多すぎてその存在を確認することも稀。自分がこれからどこに向かうのかはわからない。でも周りを見渡してみても皆表情が明るいし、各々がサークルやバイトを見つけ楽しそうに仲間と歩いている。心配する必要もないか。というのが大学の入学してからしばらくの期間。

風刺的な妄想に聞こえるが、あながち的外れではないと思う。自分が大学2年の途中までそうだった。でも多くの人が就活を始める大学3年の終わり、多くの岐路目の前に現れる。「さあ、君はどこに向かうの?この道はそれぞれ違ったゴールへつながっているよ。どの道を進むか当然考えてきたよね?」とマラソン大会のスタッフが問いかける。そんなの考えたことない。これまで周りのみんなと同じ道をただ進んできたのだから。自分のための決断なんてしたことがない。

いまの日本の多くの大学ではそうなる。上に書いたようなストーリ―展開は現実問題、多くの人に訪れている。

でもこれ、問題点は「大学に入ってから」ではないような気がする。自分は大学進学が惰性だった。受験勉強が嫌で、進学校に在籍していたため、周りは当然進学が8,9割。高3の夏に部活を引退してから残された学校行事は楽しんだが、だんだんと受験モードに変わっていく中でまったくモチベーションが上がらなかった。模試の結果はもちろん悪い。志望校は名前や場所(関東志望)で決めていた。でもそこまでこだわりはない。「なんで大学に行くのか」なんて問われても、「勉強するため?」だった。勉強は嫌いなのに。それは「いまこれから数か月後に就職する」という選択肢だけにはNO!!!と言えたから。それにしても、自分のこれまでを振り返るとこの惰性的な大学進学が一番の問題だと感じる。親には「大学に行けることを当たり前と思うなよ」と模試の結果を見ながら怒られた(費用的に国公立限定だったから)。確かに両親共に苦労して大学に進学していたとは聞いていた。しかし、時代も違えば育った環境もあって、当時高3の自分にはとてもその思いは十分には理解できなかった。

学ぶことが楽しくなったのは本当に最近だけれども、それは学びたいと感じるようになったから。意欲がないうちは講義もまともに聞くこともなければ、出席すらろくにしていなかった。これは学費を親に出してもらっている身分として恥ずべきことだということはわかってはいたんだけれど。。。

ではどうすればいいかなと考えていたんだけれど、自分がまた高校に通いなおすことはRelifeでもなければ起こるはずもないので、自分の子に置き換えて考えてみる。もし将来、自分の子が「大学に行く意味が分からない/行かない」という決断をしたときには、「とりあえずどこでもいいから大学には行っておきなさい(周りの目もあるから)」なんて言う親にはなりたくない。自分なら親として、「おう、そうか、じゃあ何をするんだ?」くらいのスタンスでいたい。どうかな。たぶん近い将来、そんな考え(大学行かないといけないわけじゃなくない?思想)にシフトチェンジしそうな予感がする。もししなかった自分の子だけでもその価値観で受け止めたい。大学が意味ないなんて言ってない。自分はいまでこそ学びのおもしろさの味をしめてきたと思うし、その味を知っている人、知りたい人だけが大学進学すればいいと思う。自分はそういう意味で、大学院進学はいまの専攻とは違うところに行く予定。だって10代から20代にかけての4年間を棒に振るなんてのはもったいなさすぎるじゃん。

すると大学に行かない人たち(具体的な対象としては進学校の高校3年生)はどうすればいいのか。それは、細切れでもいいからいろんな体験をするといいと思う。例えばそれは、海外に旅行に行ったり、ワーホリで1年間過ごしたり、日本の山奥の職人の元に住み着いて弟子入りしたり、地域おこし隊として土着の活動をしたりといった体験である。なんでもいい。飽きたら速攻辞めていいと思う。そう、無理に続ける必要はない。そこに留まることに可能性が見いだせなかったらすぐ辞めちゃえ。自分の高校時代を振り返ってみて、もしいまやり直せるなら、とにかくあの部活の時間をどうにかしたい。当時の反動でいま積極的に動けているとは思う。でも高2のあの時期は一生帰ってこない。だったらRelifeじゃないけど、もっと外に出たりSNSで発信したり読書に明け暮れたりしてみたかった。「時は金なり。」やりたいことが見つかるまでいろんなことに手を出してみるといいと思う。「あいつは多くのことに手を出し過ぎてどういうやつかつかめない。もっと一つのことに絞るべきだ」というのはひどい。やりたいことを探している段階の人なら大目に見てやってほしい。そりゃ、所属しているチームメイトに迷惑をかけないように努めることはもちろん必須。これは忘れてはいけない。しかし、一つに絞るのは自分の中で何かがしっくりきた時でいいし、そのしっくりくるものがいくつもあるなら何足のわらじでもいいじゃないか。(そもそもなんでそんなに簡単に他者の人格をシンプルに認識したがるんだ。ひとってそんなにシンプルなはずないじゃんか。)

何をするにしても、もちろんやらされるものであってはならないし、自身の興味程度でもいいからやりたいことであるべき。とすると次には、高3になってどうしたいかという選択肢がない人が大半のはず。そこで、生涯教育として授業の中で外部講師を招いて講演の機会を多くするべき。探検家や公務員、学者、助産師、バスの運転手、ベンチャー企業の社長などなど、バラエティに富んだゲストからいろんな価値観のお話を聞く。(とすると、教師にその価値観がないとまず成りえないよね。やっぱり教師はすごい。)教育の本質は「まだ見ぬ世界の見つけ方」を提供することだと思うから、これは教師、学校の指名だと考える。いまの日本の大学は(海外がどうなのか気になる)、就職のための大学になってる気がするし、高校は大学進学やはたまたやっぱり就職のため(商業・工業など)になってる。「視野を広げるって、選択肢が多いことは果たしていいことなのか!」という問いは以前、塾講師仲間と議論になったけども(笑) 少なくとも、そんなのもっと早くに知っておきたかったという事態になる前に、その視野の広げ方はせめて学校でもっと力を入れて指導してもいいんじゃないでしょうか。

以上、教育にすこし興味のある農学専攻の学生のぼやきでした。

アウグスブルグにて空を仰ぐ。

今日は学校を休んだ。

現在語学学校に通う身だが、ただでさえ半日しかない学校を休むのだから、休日は1日時間を持て余すだけ。なんか、これは思ってたのと違う。しかもこれがいまから7日続く。(いまはブラームス交響曲第1番ハ短調を聴きながら書いているから無意識に煽られてる気がする。)書き出しからトゲがあるな。文章が殴り書きになってるのが仕方ない。そのうちうまくしていく。この前の記事でも、「下手でもいいから書き続けろ」とあった。すごくビビッときた。イメトレを完ぺきにしてから舞台に立つんじゃない。それはこれまで自分の潜在意識にもあった。

簡単に現状を記すと、ドイツ語の語学学校に通い、1日ぶっ通しの4時間授業を終えると昼ご飯をどこかで食べ、あとは自由時間といった日々。つまりはこの午後の自由時間の使い方がこの留学のカギとなる。店では店員がただでさえ不愛想なのに、ドイツ語で喋らないとにらまれる。ドイツ語の習得が目的でもあるため、早く習得するに越したことはない。それにしてもほんとに怖くて昨日はクレジットカードの暗証番号間違えた。ドイツ語の勉強を頑張ろう。。

トビタテ生として、同期で507人。これまで述べ2000人(ざっくり)を輩出しているという数字にどこか気持ちが萎えているのはここだけの話だが、選考に通ったとはいえこんな自分にも奨学金を出してもらえたことに純粋に感謝すべき。しかし、さすがに多いから目立てないじゃないか。んーー。でもそれは自分のこれから次第だな。そのうちトビタテを終えてひょいひょいと帰国し、次は個人としてレッテルを売り込めるようになる。だれかが用意してくれたチャンスではなく自分で創り出す。それがおれの目指す大人なんだな、きっと。

ところで、いまドイツ時間で朝の6:20。昨日早く寝たので今朝は4:30に目覚めた。順調に身体が朝型になりつつある。慣れてきたら朝ランニングをしたい。運動を取り入れたい。話はそれたが、昨日から考えているのは「『今この時間にお金を出してもらっている』という事実に実感がわかない」ということ。事前研修はあったし指揮も高まった。しかしなんでこんなにも意識が低いのか自分でもわからない。トビタテ生がほかにもたくさんいるという2:6:2の法則か?きっとそうだ。

とはいえ、そんなことは言ってられない。3月の帰省中に感動した長州ファイブの時代とは違うとはいえ、自分だって周りの期待を背負っている。なんなら周りに知れているという意味では当時の状況と変わらない。喜ばせたい人がたくさんいる。この上ない幸せである。この人たちを自分は大切にすればいいのだとわかる。

そして、ほかの人の事例はあまりよく知らないが、自分は今回の11か月の留学におおよそ200万円の奨学金を出してもらっている。金額が10万を超えるともう思考が停止してしまう金銭感覚なのが申し訳ないが、この額がどれほどのものか自分でも”やや”自覚している。恥ずかしながらいまのじぶんはこんなもんである。だからこそ、行動の軽率さを叱ってくれる親には感謝すべし。

そしてお金もさることながら、この学ぶ時間があることに感謝することを忘れてはならない。自分への戒めとして。ゲーム、遊び、睡眠、なにをして過ごしても、この11か月に200万が出されている。これがどれだけすごいことか、ちゃんとわかるのはきっと数年先になる。でもいまはわかる範囲でこの事実を自覚し、1日1日を大切にすることしかないと思う。時間の使い方で人生は変わる。大人がのどから手が出るほど欲しがる時間を持て余したくない。学生の特権を謳歌する。

総じてまとまりがないのは承知。まとめる気はない。今の想いを率直に書き記しておきたかった。なるべく毎日書きたい。それぐらい濃い日々を送りたい。